Cygames Research研究日誌 #22 ~博士課程への進学と就活との間で迷っているみなさんへ~
サイマガ読者のみなさん、こんにちは。
Cygames Research所長の倉林 修一です。Cygames Researchとは、最高のコンテンツを生み出すためにサイゲームスが設立した基礎技術研究所で、この連載記事では、当研究所での研究成果や活動をご紹介しています。
先月は、就職活動について考える回でした。大変うれしいことに、先月の記事は社内外で結構な反響があり、直接のご質問やご相談もいただきました。その中で、「就職すべきか博士課程に行くべきか悩んでいる」というご相談がありましたので、今月は「博士という生き方」について考えてみましょう。研究を身近に感じていただくことがこの研究日誌の趣旨ですので、研究者の進路を丁寧にご紹介することも重要だと考えています。ぜひ、お付き合いください。
博士号を取るということ
博士とは、我が国においても世界的にも、高等教育機関が授与する学位の最高位に位置付けられます。最高位だけあって、博士号の取得条件は厳しく、例えば、①認知された国際論文誌で原著論文を2件発表すること、②外国語での口頭発表を行うこと、③公聴会という公開審査に合格すること、④最終口頭審問に合格すること、というような条件が課せられています。単位をとって卒論を書く、という学部の条件とは大きく違うことがわかると思います。(※ 細かい条件は大学や研究科ごとに異なるので、実際に博士号取得を目指すときは、必ず目指す大学の博士号授与の要件を確認しましょう)
一方で、苦労して博士号を取得した後、そのスキルを活かす場としての就職先には、実は課題があることもよく知られています。20年ほど前から「高学歴ワーキングプア問題」や「ポスドク問題」として報道されていますが、博士課程を修了して博士号を取得しても、なかなか就職先が見つからないのです。歴史的経緯を振り返ると、この「ポスドク問題」は、1990年代からの大学院重点化政策という、大学院教育の拡充を図るという国の政策に端を発しており、博士人材を増やしたものの、修了後の受け皿となる職場が、政府の想定通りには十分に拡大しなかったのです。さらに追い打ちをかけるように我が国の長期の景気低迷から、博士課程への進学者は、大変残念ながら、2003年度をピークに減少し続けています。
- 文部科学省 科学技術・学術政策研究所(NISTEP) 科学技術・学術基盤調査研究室 科学技術指標2020, https://www.nistep.go.jp/sti_indicator/2020/RM295_32.html
このような状況において、博士課程に進学すべきかどうか、悩むお気持ちは、よくわかります。そこで、博士課程への進学に悩んだときに考えるべきことをいくつか書き連ねてみました。みなさんの進路選択の参考になれば幸いです。
まず指導教員と家族に相談しよう
読者のみなさんへの最も重要なアドバイスとして、博士課程への進路に悩んだ場合は、まず直接の指導教員の先生やご家族に相談することを強くおすすめします。みなさんの周囲にいる人たちは、みなさんのことをよく理解し、親身になって相談に乗ってくれるはずです。まずは周囲の人々に相談しましょう。実は、「悩んだときに周囲の人間に相談できる」という能力は、博士課程で生き残れるか否かを左右する重要なファクターでもあるのです。もし、みなさんが、博士課程に行くべきかどうか悩んでいるにも関わらず、指導教員の先生やご家族に相談しにくい、という状況であれば、それはあまり博士課程に向いている環境ではないかもしれません。博士課程は悩みが多いプロセスですので、周囲の人間とすぐに相談できるような関係性の構築が極めて重要です。連絡をすれば、十人くらいはすぐに相談に乗ってくれる家族や友人や知り合いがいる、という環境を作ることが、良い研究者への第一歩です。
現代社会では、ネットで検索をすれば色々な知識が得られますが、その知識は必ずしもみなさんの実情に合ったものではないかもしれません。実情に合わない知識に依存するのは極めて危険なので、Webメディアに頼りすぎないことが肝要です。周囲の人間に相談しても答えが出ない場合や、もうちょっと広く意見を聞いてみたい、というときにWebメディアを参考にするのが良いと思います。Webメディアは、あくまでプラスアルファの要素だ、という前提で、参考程度に読んでください。
どこに悩んでいるのかをはっきりさせよう
博士課程に進学するべきかどうかは、一人ひとりの人生の選択なので、一概に答えを出すことは難しいのですが、「進学したいのだけれども、○○という悩みがある」という問題に分解できれば、より具体的に検討することができます。進路の悩みは、分解してみましょう。計算機科学で言うところの分割統治法(divide-and-conquer method)です。私の個人的な経験では、分割統治法をマスターするだけで、人生はだいぶイージーモード方向になるので、ぜひ、分割統治してみてください。
そして、これもまた私の個人的な経験ではありますが、悩みは大抵の場合、①何かが不足しているとき、②何かが両立しないとき、③未来への恐怖があるとき、④過去への執着があるとき、の4つくらいではないかと思います。例えば、博士課程に行きたいけど学費が心配だと言うのは①の不足ですし、自分は博士課程に行きたいけど家族が反対しているというのは②の両立しない問題ですし、博士課程を出た後の就職が心配というのは③の未来への恐怖で、せっかく良い大学に入ったのにサラリーマンとして働くラインから外れるのが嫌だという感情は④の過去への執着です。どれも、人間なら自然に感じる悩みなので、これらの悩みを持つことは当たり前の話で、恥ずかしいことでもなんでもありません。人間はみんな悩むのです。ただ、自分が今、何に悩んでいるのかを言語化することはとても大切です。言語化できた悩みには、技術的にアプローチすることができるからです。
悩みと個別に向き合ってみる
博士課程への進学を躊躇するときに、何かが足りていないとしたら、大抵の場合、研究能力と進学資金のどちらかではないでしょうか。
研究能力が足りていない場合は、努力が最良の改善方法です。努力の方向性も確かに重要なのですが、その辺りは指導教員に聞くと良い方法を教えてくれるはずです。世の中には、神に愛されているかのような能力の高い人もいますが、博士課程に行くときに、そのような他人をあまり気にする必要はありません。大切なのは、博士課程に行った未来の自分が、現在の自分よりも成長しているかどうかです。能力が足りなければ努力をしましょう。「努力が必ずしも結果には繋がらない」というようなシニカルな言説がネットに溢れていますが、努力は、割と、能力には直結します。オリンピックの金メダリストでも、1年間、一切の努力やトレーニングを禁止されたら、多分、能力はガタ落ちしてしまうはずです。「結果」と異なり、努力と能力には強い相関があるのです。
次に進学資金の問題ですが、博士課程学生の経済的安定性は、我が国の喫緊の課題と言えます。この問題の解決方法は数多くありますが、私が有力な方法だと考えているものは、海外の大学院に進学する、国内の博士課程支援制度を活用する、のふた通りです。海外の大学院への進学は、受け入れ教員を見つけることの難易度が高いものの、不可能ではありません。例えばアメリカでは、多くのSTEM (Science, Technology, Engineering and Mathematics)分野の博士課程の学生は授業料が全額または一部免除され、給料はTA(Teaching Assistant)やRA(リサーチ・アシスタント)として、自立して生活できるだけの給与(スタイペンド(Stipend)と呼ばれる)が支払われます。
また、計算機科学の分野ではシリコンバレーのテック企業でインターンする学生も多く、博士課程学生は経済的に自立した生活を送れる人が数多くいます。支援総額は、分野や大学によって大きく異なるのですが、例えば計算機科学系の分野では、学費全額免除+生活費+研究費+医療保険で、年間1300万円くらいの経済的支援を1人の学生が受けている場合があります。日本とアメリカでは生活物価や医療保険制度に大きな違いがある(加えて昨今の円安で見た目の金額が大きく見える)ので、単純な比較はできませんが、アメリカの博士課程は充実した学生支援があり、博士課程は、学生というよりは、プロの研究者の見習いとして位置付けられていると言えるでしょう。
- 内閣府 科学技術・イノベーション担当, 博士課程学生への経済的支援について(検討用), https://www8.cao.go.jp/cstp/gaiyo/yusikisha/20200702/siryo2.pdf
日本における博士課程支援制度では、文部科学省の科学技術イノベーション創出に向けた大学フェローシップ創設事業や、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)の次世代研究者挑戦的研究プログラムなど、生活費と研究費の両面で博士課程学生への支援が、2021年からスタートしています。文部科学省の大学フェローシップでは、各大学が博士課程学生に生活費と研究費として年間200万円程度の支援をしています。10年ほど前からこの流れは続いており、古くは、文部科学省の博士課程教育リーディングプログラムや、卓越大学院プログラムにて、RAとして学生を雇用する仕組みを整備しており、月額10万円〜20万円程度の支援が行われてきました。国内で博士課程に進学を希望する場合、この「大学フェローシップ」を実施している大学の博士課程に応募することが1つの方法です。
Cygames Researchの制度は4つの悩みをすべて解決
既存の博士課程支援制度は、大変優れた制度ではあるのですが、博士号取得後のキャリアパスに不安が残るのも事実です。大学の支援制度は、大学を修了したらそこで支援が切れてしまうので、未来の就職の不安や、既存のキャリアパスへの執着を解消することは困難でしょう。また、海外の大学院への進学は、家族(や、彼女や彼氏)から進学が反対されている、という相談をよく聞きます。なかなか上手くはいかないものですね。そこで、Cygames Researchでは、博士課程学生のみなさんへのまったく別の支援方法をご用意しました。
それが、Cygames Researchのアソシエイト・リサーチャー制度です。このアソシエイト・リサーチャー制度では、当研究所の研究員として働きながら、博士課程に通うことができます。既に3名の博士課程学生が在籍しており、上記の大学フェローシップ制度を超える給与を得ながら、企業での研究と博士課程研究を両立させているのです。また、企業での研究と博士課程研究をリンクさせることも可能で、Cygames Researchで発表した論文を、博士課程の修了要件として提出することもできます。しかも、アソシエイト・リサーチャーは、サイゲームスのスタッフとしてしっかりと働いているわけですから、ご家族を説得する1つの要素となるでしょう。博士課程終了後には、そのままサイゲームスのフルタイムのリサーチャーとして就職する道も用意されているので、ポスドク問題も解決できます。アソシエイト・リサーチャー制度に参画すれば、4つの問題がすべて解消するのです!
私がこのアソシエイト・リサーチャー制度を設計するときに参考にしたものが、アメリカの博士課程のインターンシップ制度と、フランスの博士課程のCIFRE(Conventions Industrielles de Formation par la REcherche)でした。CIFREは、企業と大学の両方に籍を置き、企業での研究活動をベースに博士論文を執筆していくという、フランスで大成功している博士課程の形態です。CIFREでは、企業と博士研究者の間には月額約27万円の給与での雇用が、3年の期間で契約されるそうです。
日本でも、アメリカの活発なインターンシップやフランスのCIFREのような、博士課程学生を媒介として大学と企業が連携する場を作りたいと思い、このアソシエイト・リサーチャー制度を発足させました。興味のある方は、ぜひ、こちらからご応募ください(※)。現役のアソシエイト・リサーチャーの話を聞いてみたい、という方は、Online Meetupにご応募ください(※)。現場の生の声をお伝えできると思います。
みなさんからのご応募をお待ちしています!
※現在は募集を停止しております
おわりに
博士。「はかせ」と読んだり「はくし」と読んだり、なかなか読みが安定しない言葉ですが、実は正式には「はくし」です。一方の「はかせ」という読み方は歴史が古く、古代律令制度における官位の1つである「博士」の読みが「はかせ」だったので、慣例的に「はかせ」と呼ぶ用法が定着しているようです。
日本史とは異なりますが、上橋菜穂子さんのファンタジー小説「精霊の守り人」には、未来を占う「星読博士(ほしよみはかせ)」が登場します。日本古代の陰陽道のような位置付けの官僚機構ですが、「はかせ」と読むことで、ファンタジー小説の舞台が、王と官僚機構から成る古代律令制度的な政治システムなんだなぁ、と読者に思わせる演出でした。博士が、古くは陰陽師の博士まで遡れる称号だと思うと、博士課程もまた楽しめるのではないでしょうか。
ところで、完全に話が脱線しますが、「ソフトウェア」という英単語を日本語訳するときに「術式」という訳を定着させておけば、ソフトウェア工学分野の博士を、「術式工学博士」にできたので、めちゃめちゃ格好良かったのに、と思っています。暗号ソフトウェアは、”暗号術式”に、リモートコンピューティングソフトウェアは、”遠隔演算術式”になるわけです。強そうですよね。術式を会得した最上位の学位としてであれば、博士(はくし)ではなく、古代律令制度の官位に遡る博士(はかせ)でも良いのではないでしょうか。
最後に、博士課程への進学は人生の重要な決断なので、慎重に検討していただければ幸いです。しかし、私個人は博士課程で多くのことを学ぶことができたので、今ここで研究ができているのだと思っています。海外のゲーム企業では博士人材の募集を普通にするようになりましたが、日本ではまだまだその流れが定着していません。ゲームを科学の力で面白くすることは、学術的にも産業的にも、大変意義深い活動です。みなさんの中から、1人でも多くの博士人材が生まれ、そして、その博士人材がゲーム業界に参画してくださることを願っています。