Cygames Research研究日誌 #15 ~サイゲームス流! 逆算の研究論文執筆方法~

サイマガ読者のみなさま、こんにちは。Cygames Research所長の倉林 修一です。Cygames Researchとは、最高のコンテンツを生み出すためにサイゲームスが設立した基礎技術研究所で、この連載記事では、当研究所での研究成果や活動をご紹介しています。前々回の第13回前回の第14回では、当研究所におけるリモートワークについてお話しさせていただきました。

リモートワークでの生産性を最大化するために、世の中の多くの組織が多大な努力を払ってきましたが、いまだに大きな課題があるようです。例えば、Microsoft社は全社員6万人がフルリモートになり、それによって社内で起きたことを定量的に調査しました。その結果を Nature Human Behaviour という論文誌で公開(2021年9月9日)しており、それが大変興味深い結果になっています。

  • Yang, L., Holtz, D., Jaffe, S. et al. “The effects of remote work on collaboration among information workers.” Nature Human Behaviour, ISSN: 2397-3374 (online), 2021. https://doi.org/10.1038/s41562-021-01196-4

この論文によると、フルリモートワークを推進した結果、次のようなことが起きたそうです。

  • 社内の既存グループは、グループ内での結束が強化される一方、グループ外のスタッフとの関係性が希薄化した。
  • グループを跨った緩やかな社員同士の繋がり、すなわちインフォーマルなコミュニケーションのネットワークが崩壊した。
  • 新しい社員同士の組み合わせが起きなくなった。人間関係が固定化された。
  • フルリモートワークに移行せず、リモートワークとオンサイトワークを組み合わせるハイブリッドモデルでも上記と同じ結果が起きた。

なかなか考えさせられる結果ですね。大学や企業など、1つの組織がその価値を最大化するためには、やはりグループを超えた人間関係の構築や、緩やかな繋がりに基づく協力、そして新しい出会いという要素が必要不可欠なようです。早くコロナ禍が明けて、オンサイトの良さを取り戻したいところです。

さて、今月は9月で、学校では新学期が始まる時期です。卒業論文、修士論文、あるいは博士論文をまとめる時期を迎えた方もたくさんいらっしゃることでしょう。そこで今月の研究日誌では、サイゲームス流の論文執筆方法をお伝えしたいと思います。Cygames Researchでは、ゲーム開発に役立つ研究、すなわち実用的な研究を進めるために、少し独特な研究アプローチをとっています。このアプローチにより、入社8か月の新人研究員が、マルチメディア分野の著名な国際会議である IEEE International Symposium on Multimedia (ISM) 2021 にフルペーパー論文を投稿できるなどの成果も出ています。2021年度の卒業・修了に向けて、ぜひご参考になさってください。

研究を始める前に研究成果を定義する(逆研究法)

逆算で物事を考えるとは、端的にはゴールを最初に考えることです。図1をご覧ください。研究を始める前に、まずその研究が完璧に完成したときに、ゲーム開発者やユーザーのみなさまにどのような価値がもたらされるかを精緻に考えます。ここでの研究成果は、「こうなったらいいな」というようなザックリとしたビジョンではありません。

▲図1.逆算思考の研究アプローチ

具体的に、ゲームAのシーンBの機能Cとして実装し、ユーザーのみなさまがどのように使い、どのような面白さや快適さを感じるのかを取扱説明書やチュートリアルのようにわかりやすく端的に説明する文章として定義します。この研究成果のビジョンを、研究を始める前に明確に、かつ具体的に定義することがサイゲームス流の研究アプローチです。ちょっと格好つけて英語にすると、Inverse Research Approach(逆研究法)です。

もし、ここで定義した未来のビジョンがそれほど面白くない場合は、研究をどれほど頑張っても面白い結果にはなりにくいので、研究のゴールを再検討しなければなりません。研究はやってみないとわからないと思考停止するのではなく、研究が完全に成功した未来は面白いのかどうかを考えてみるのです。まずは面白い未来を見つけることが研究テーマ設定の要諦です。

未来が見えたらタイトルとアブストラクトを書く

未来が見えたなら、さぁ研究だ、とはなりません。逆算の論文執筆では、研究を始める前に論文を書いてしまいます。とはいえ、ここで書く論文は提出用の論文ではなく、研究チーム内で意思統一するための基準としての文書です。

この暫定論文では、タイトルとアブストラクト(概要)が極めて重要です。タイトルは論文のすべてを一言で表現したものであり、アブストラクトは論文のすべてを1パラグラフで表現したものです。この2つを事前に定義することにより、研究者自身の考え方や、チームの考え方がブレてしまうことを防止できます。以前お話しした、未来の100人の部下のためにタスクリストを書くという方法論(第13回を参照)にちょっと似ている考え方ですね。この論文執筆法のフローを図2にまとめてみました。

▲図2.逆研究法の論文執筆フローでは、結果が出てから論文を書くのではなく、結果が出る前に論文を書きます。未来から現在を記述する論文執筆法です

図2に示したように、逆算で研究を進めるときの鍵は「未来の視座から現在を見る」という習慣です。Cygames Researchで研究を始めるときは「もしも自分が研究に成功した未来から現在を振り返ったなら、ブレークスルーはどこにあったと思い出すだろうか」という思考をしています。

研究に成功した自分がインタビューを受けている様子を想像しながら、そのインタビューで何を答えるのかを考えるイメージです。そう、この研究メソッドでは、現在から未来を考えるのではなく、「未来から現在を思い出す」ようにするのです。現実と乖離した未来を想像したり夢想したりするだけでは、未来を現実にはできません。望ましい未来から、その未来へ至った道筋をあたかも思い出すかのように考えることにより、「ゴールに最速で到達する道筋」を選び取れるようになるのです。とはいえ、実際にはタイムマシンがあるわけではなく、あくまで想像上の未来ではあります。しかし、現在に固執して未来を考えるよりも、未来という視点から現在を見つめた方が、新しい発想を生み出しやすいと言えるでしょう。

アブストラクトの鍵は共感できるストーリー

ここからは具体的な論文執筆方法をご説明いたします。まず、アブストラクトを執筆する上で私が最も重視しているのは、読者やユーザーのみなさまが共感できるストーリーを描くことです。

なぜこの研究が必要なのか(需要の定義)、既存の研究の限界はどこにあるのか(問題の定義)、どのような方法で問題を解決するのか(手法の定義)、問題を解決できたことをどのように検証するのか(評価方法の定義)、その結果何が得られたのか(成果の定義)というアブストラクトの五大要素を、自分の独りよがりな視点ではなく、未来のゲーム開発者や未来のゲームユーザーの視点から、共感できるストーリーとして文章化していきます。研究を成功させるためには、必ずその研究成果を誰かに使っていただく必要があり、その「誰か」とは、未来のゲーム開発者やユーザーのみなさまなのです。

実装するより前に実験の章を書く

「マジでか」と思われるかもしれませんが、アブストラクトを書き終わったら次は実験の章を書きます。実験とは、目指した未来に到達したかどうかを客観的な手法で確認する作業です。「このシステムはちゃんと動いているし便利だからOK」というわけにはいかず、本当に正しく動いているのか、本当に便利になったのか、という批判的な視点から研究成果を検証することが科学の進歩には必要不可欠です。

一般的には、実験の章を書くタイミングは実装して実験した後なのですが、私は実装や実験の前に「きっとこんな実験結果が出るだろう」という想像上の実験結果を書いておくことにしています。想定通りの実験結果を出すためではなく、「実験結果が想定外だったかどうか」を客観的に把握するために、あらかじめ想定される結果を書いておくのです。

もしも想定外の実験結果が出たなら、その研究は極めて新しい何かを発見している可能性があります。逆に、当初想定した通りの実験結果が出た場合は、その研究はちょっと凡庸かもしれません。著者がサプライズを受けるほどの実験結果なら、きっと読者にとってもサプライズです。

8ページの論文なら最初に16ページ書く

これも「マジでか」と思われるかもしれませんが、クオリティーの高い論文を書くためには規定のページ数の倍程度を書く必要があります。人間はどうしても自分に甘いもので、8ページの論文を書こうとすると、随所に無駄な文章を入れてなんとか8ページを満たそうとしてしまいます。そのような怠惰な自分と戦うために有効な方法は、8ページの倍の16ページの量を書いてから、無駄を徹底的に省くことで8ページに収めるアプローチです。16ページの量があれば、どこが面白くてどこが凡庸か、何が本質で何が枝葉末節かを客観的に考えながら、取捨選択したり抽象化したり要約したりできます。

倍の量を書くのは大変ですが、圧倒的にクオリティーが上がりますのでぜひお試しください。もし読者のみなさまの中に大学の学部4年生や修士課程2年生の学生さんがいらっしゃるなら、おそらくあと3か月くらいで卒論や修論の提出の時期ではないでしょうか。卒論で25ページ程度、修論で50ページ程度を想定すると、その倍のページ数くらいなら今から始めれば十分に書けるはずです。1日2ページ書いて、1ページに要約するアプローチでも構いません。ぜひ、2倍の量を書いて圧縮するアプローチをお試しください。

必ず締め切りまでに書く

最後に、必ず締め切りまでに書き上げましょう。どんなにクオリティーが高くとも、提出されていない論文は、提出された論文に決して勝てません。論文は、読者に届いて初めて価値が発揮されるのです。覚悟を決めて提出しましょう。


今月は秋学期が始まる時期でもありますので、サイゲームス流の論文執筆方法をご紹介いたしました。ぜひ、卒論、修論、学会への投稿論文に応用していただければ幸いです。来月は、Cygames Researchにおける実用化チームと、リサーチ・エンジニアの活躍についてお話しさせていただければ幸いです。論文として書かれたモデルを、どのように実装し、どのようにゲーム開発プロジェクトにお届けしているのか、その奮闘ぶりをお伝えいたします。お楽しみに。