『神撃のバハムート』10周年記念 プロデューサー×ディレクター対談 ~第1回 『バハムート』誕生~

2021年9月1日にリリース10周年を迎えた『神撃のバハムート(以下、バハムート)』。サイゲームスが最初にリリースしたタイトルであり、サイゲームスのゲームの原点でもある本作の10周年を記念して、プロデューサー・木村唯人とディレクター・森山弘樹の特別対談を全3回にわたって実施!

第1回となる今回は、『バハムート』開発がスタートした経緯やリリース前の様子、プロデューサー・ディレクターである両者がどんな想いで開発・運営に臨んでいたのかを語ってもらいました。

『神撃のバハムート』プロデューサー木村 唯人
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東京大学大学院卒業後、カナデン、シリコンスタジオを経て、2011年に代表・渡邊耕一とともに、サイゲームスを設立。『神撃のバハムート』をはじめ、『グランブルーファンタジー』『Shadowverse』『プリンセスコネクト!Re:Dive』のプロデューサーを務める。2019年4月より専務取締役に就任。経営と並行して、各代表タイトルのプロデューサーとして、ゲーム開発にも深く携わっている。
『神撃のバハムート』ディレクター森山 弘樹
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オンラインゲーム企業にて、カスタマーサポートやゲームマスターとして運用や企画提案などを経験したのち、 2012年2月にプランナーとして入社。『神撃のバハムート』に配属後、パラメーターを担当し、翌年プランナーリーダーを経て、2013年よりディレクターに就任。現在も『神撃のバハムート』のディレクターとしてイベントやキャンペーンの立案、アップデート企画、イラストチェックなどの業務に取り組む。

初の2桁周年突入!
サイゲームスの歴史を作ってきたゲーム

『バハムート』が10周年を迎えました!サイゲームスとしても初の2桁周年突入ということで、今の気持ちはいかがでしょうか?

木村 『バハムート』はサイゲームスの始まりであり、会社の歴史そのものを作ってきたゲームであると思っています。各タイトルのアニバーサリーでも常にめでたく感じているものの、『バハムート』は今年10年という節目の年なので、より一層うれしいですね。

元々「10年は続けていくぞ」という想いで運営は続けていたのですが、ソーシャルゲームを10年続けるというのはそう簡単なことではありません。私たち運営がただ頑張れば続くものでは絶対なく、ユーザーのみなさんからの応援や期待、支持がなければここまで来ることはできなかったと今改めて強く感じています。

森山 本当にその通りですね。今も「10年前からプレイしています」というユーザーのみなさんがすごく多くて驚かされます。ずっと支えてもらっているんだなと感謝の気持ちでいっぱいです。

10年経ってみての気持ちは「長かったな~」というよりも「え?もう10年?」という気持ちの方が強いですね。体感的にはまだリリースして数年くらいなのでは……?という。

木村 気付いたらリリースから1年が経っていて、そしたら3周年が見えてきて、3年経ったらその次は5周年が見えてきて……という感じであっという間に10年経ちましたね。

森山 そうなんですよね。でも振り返ってみると、数えきれないくらいイベントや改修をしましたし、世の中全体として行われたフィーチャーフォンからスマートフォンへの大きな転換の波を乗り越えてきたタイトルでもありますよね。新しい技術や試みなどを常にしていた気がします。

木村 それに、この10年の間に『バハムート』で誕生したキャラクターや培った技術が他のサイゲームスタイトルにきちんと活かされてきているのも感慨深いです。“『バハムート』の遺伝子”が確かに他のタイトルにも受け継がれていて、まさにサイゲームスの歴史はここから始まったといえる、会社を代表するにふさわしいゲームになったと思っています。

▲『バハムート』で初登場したサイゲームスおなじみのキャラクターたち。左から、アルベール、モニカ、グリームニル、リリィ、ジャンヌダルク

「『バハムート』をリリースするために必要なことをする」
リリースに至るまでの覚悟とチーム力

『バハムート』の開発が始まったのはサイゲームス設立直後でしたよね。当時はどういった経緯で開発に至ったのでしょうか?

木村 設立直後、実は『バハムート』の他にもう1本別のタイトルを同時並行で開発していました。ポップなモンスターがメインで登場するゲームで、当時私はそのゲームのプロデューサーをしていました。開発の進捗は『バハムート』よりそちらの方が進んではいたのですが、途中で「どちらかをヒットさせるなんてぬるいことを言うのはやめよう」と社内で方針転換があり、『バハムート』1本に開発を集中することにしました。

なぜ開発が進んでいたゲームではなく、『バハムート』を開発することに?

木村 「圧倒的クオリティーのゲームが作れる」と思ったからです。初めにそう思ったのはやはりイラストのクオリティーの高さを見たときですね。ゲームの世界観をしっかりと作り込んだ上で、イラストもシステムもシナリオも最大限のクオリティーで作って、ただカードを集めるだけじゃない、最高に楽しめるゲームにできると思いました。

10年前、すでに『バハムート』のようなキャラクターカードを集めてバトルをするゲームは数多く存在していましたが、1つの作品として統一感があり、しっかりとしたRPGとして楽しめるゲームは多くはありませんでした。『バハムート』ならそれが実現できると確信していました。

▲リリース初期に登場していたカードの一例

開発の初期段階ですでにイラストのクオリティーはそんなレベルに達していたのですね。イラスト以外の領域についてはどういった体制で開発をしていましたか?

森山 たしか初めは木村さんがテキスト作成やバランス設計をしていたんですよね?

木村 1人ではなかったですけどね。あの頃は明確な担当者は決まっていなくて、みんながみんな、できる範囲でいろんなことをやっていました。プランナーがキャラクターのセリフを書いたり、シナリオライターがフロントのコードを書いたり……。

森山 設立直後という感じがしますね。その頃、僕はまだ合流していませんでしたが、チームの雰囲気はどうでしたか?

木村 会社としての経験も浅くて、失敗はたくさんありましたが、つまずくたびに「全員で解決しよう!」という雰囲気のあるチームでしたね。常に前向きで明るいというか。

一人ひとり大変なことは山のようにあったと思うんですけど、全員がそれぞれのポジションを超えて「『バハムート』をリリースするために必要なことをする」という意識でした。

森山 なるほど。同じ方向を目指して進んでいく姿は今と変わりないように見えますね。

木村 確かにそうかもしれません。サイゲームスの行動指針の1つにもなっている「チーム・サイゲームス」の根幹だったのかもしれないですね。

リリース直前に導入を決めた「進化システム」
社運のかかるプレッシャーの中でも妥協はしない

たしか進化システムは開発の途中、しかもリリースの直前に追加になりましたよね。

木村 そうそう。たしか7月頃に私が進化の仕様を提案したんです。初めはシンプルに1枚のカードがあるだけで進化システム自体がなかったんですけど、開発を進めていくうちに「カードが進化したらもっと面白んじゃないか?」と。当時世に出ていた他タイトルでも、レアリティに応じてキャラクターのイラストが変化していくようなものはあったんですが、それらは別々のカードとして登場する形でした。『バハムート』では同じカード同士を掛け合わせることで能力・イラスト共に進化していくという仕様を考えました。

森山 リリース2か月前の決断としては相当思い切りましたね。

木村 あのタイミングで進化システムを導入するとなると開発期間が延びて、リリースを延期することになりかねなかったので、社内からも反対の声があがりました。ですが、そのときに代表の渡邊(耕一)が「やろう」と言ってくれて。

2~3進化目は1段階目のイラストを反転しながら少しずつ変化を加えて、4段階目の進化でイラストに大きく変化を加える形にする、という仕様を想定していたのですが、追加で必要になるイラストは渡邊がなんとか手配すると言ってくれたことで進化システム導入に踏み切りました。

森山 とはいえ実際用意する枚数でいうと数百枚ですよね。当時そんなに人数もいなかったのでは?

木村 最初は10人くらいだったかな。今考えるとすごいね(笑)。社内イラストレーターがすごいスピードとクオリティーでどんどんカードイラストを描いてくれて驚いたことは覚えています。

あと、その流れでフレーバーテキスト(※)もしっかり作ろうということになって、私が仕様を書きつつ、進捗管理もやっていましたね。当時はカード1枚1枚にしっかりしたフレーバーテキストが付いているというのはかなり珍しかったと思います。

フレーバーテキスト……ゲーム内のキャラクターやアイテムについて、効果や使い方の説明以外の、キャラクター付けや雰囲気づくりのために用意されている文章のこと

森山 サイゲームスのスピード感やクオリティーに妥協しない姿勢は当時から健在だったんですね。今となっては進化システムのない『バハムート』は想像できないです。

木村 当時は、2本あった開発中タイトルを『バハムート』だけにして、さらにリリース時期を調整してまで進化システムを開発していたので「これでもしヒットしなかったら」というプレッシャーもありました。まさに社運がかかっていたというか……。それはチーム全員が感じていたと思うので、毎日メンバー同士であれこれ言いあいながら楽しく開発を進めていく中にもピリッとした良い緊張感がありましたね。

「新しい何かで驚かせたい」
模索と挫折の繰り返し

進化システムを導入し、2011年9月にリリースされました。リリース直後の反響はいかがでしたか?

木村 おかげさまですごく良い評判をいただきました。当時はMobage内で配信していて、毎日上位にランクインしていたのでとてもうれしかったです。

ただ、今でも覚えているのが最初のイベント「巨人の襲撃」ですね。もうとにかくボロボロで、バグも多いしサーバーもたびたび落ちるし……。当時のユーザーのみなさんにはとてもご迷惑をおかけしたなと思っています。

イベント中にサーバーが落ちるたび、チーム内では「また巨人が暴れてる」と言われていたとか……。

木村 言っていましたね(笑)。このイベントを含めて、リリース直後はとにかくサーバーが落ちることが多くて、そのたびに全員が付きっ切りで対応して……という感じでした。まだ会社としての経験値も少なかったですし、運営のノウハウもたまっていなかったので、「本当はこのゲームはもっと面白いのに、100%の状態で遊んでもらえない」と悔しい思いをしていました。

森山 しばらくは不安定な状態が続いていましたね。今だから言えますが、イベントも事前告知すると開始時刻にアクセスが集中してサーバーが落ちてしまうので、ちゃんとした告知が出せませんでした。

木村 リリース直後といえば、森山さんがサイゲームスに入社したのもそのくらいでしたよね。

森山 実際に入社したのは2012年2月なんですが、初めて木村さんと面接でお会いしたのはまさにリリースしたばかりの2011年10月ですね。

木村 入社直後はプランナーでしたよね。

森山 そうです。入社後はしばらくプランナーとしてパラメーター調整を主に担当していました。当時は3つあった属性のバランスが本当にバラバラで……。SSRのリリース順が人属性・人属性・人属性みたいな(笑)。ひたすらパラメーター調整やゲーム全体のバランス調整、報酬設計などをしていました。

木村 ディレクターじゃない森山さんの話、今聞くと新鮮ですね(笑)。森山さんはもうずっと“『バハムート』のディレクター”というイメージで。

森山 2013年にプランナーリーダーになって、そのあとでディレクターに…という流れでしたが、当時はまだディレクターという役職自体ハッキリしていなかった時期だったと思います。僕が入社したばかりの頃は木村さんが前任者から引き継いだプロデューサー業とディレクター業を掛け持ちしていたくらいでしたし。

木村 あれ、そうでしたっけ?10年も前だと忘れますね(笑)。そう考えると森山さんとも10年近く一緒に仕事しているんですね。実際プランナーからディレクターになってみてどうでしたか?

森山 とにかくがむしゃらでしたねえ。木村さんが毎日のように「あれやろう!」と言っていて、それを実現させるためにはどうしたら良いかを必死に考えて動いていた記憶しかありません(笑)。

木村 やりたいことがたくさんあって(笑)。いつも黙々と進めてくれる森山さんにはとても助けられました。

森山 それは良かったです。あとディレクターになってからの大きな変化としては、新たにイベントや企画を考えることが多くなりました。陣地戦や聖戦、チーム対抗戦、エクストラバトルといったバトルに関するものから、ボスバトルガチャやプライズガチャなどのガチャに関するものまで、色々やりましたね。

木村 当時、毎月4本くらいイベント走らせてなかった?

森山 やっていましたね。僕が初めて担当したイベントが2013年5月の「黄金死都と王女の首飾」で、これが捕獲イベントの原点になったイベントなんですよね。でも木村さんには「ただ走って捕まえるだけって何が面白いの?」と言われました(笑)。

木村 最初は正直面白さがわからなくて(笑)。でも実際やってみると捕まえられるのに1匹だったり3匹だったりでばらつきがあるのが楽しかったです。持っているカードの強さに関係なく楽しめるというのも良かったんだと思います。

森山 ユーザーのみなさんにも楽しんでもらえてやって良かったなと思います。捕獲イベントのように、とにかく「次は『バハムート』でどんな新しいことをやろうか」と日々模索していましたね。そのチャレンジする気持ち、新しい何かでユーザーのみなさんを驚かせたいという想いは10年間変わらず持ち続けているものの1つかもしれません。

第2回につづく)